2010年8月30日月曜日

アクセスダブルハンドトーナメントレース





 毎年恒例になった.アクセスのトーナメントレース、今回は子のうだる暑さも影響してか、16艇 32名の参加で29日開催しました。
今年は、寛平ちゃんのアースマラソン展を記念して、商品は、寛平ちゃんグッズ!! みなさん頑張ってくれました。予選の最初は、風がなく、大変でしたが、11時を過ぎると風が良くなり1回戦2回戦と進みました.毎年参加の強豪や,即席コンビ、子供チーム、親子チーム、おじいちゃんお孫さんチームもいました。コミッティーも暑い中、頑張ってくれました.お昼は、ハーバーカフェで.みなさん食事!! お昼からの、順々決勝、準決勝と進み、風は10m近く吹出し、厳しいなコンディションで行なわれましたが、決勝レースも無事すませ、
1位は、これ迄何度も決勝で涙をのんだ、ブラインドセーラー岡道信君と中田さん組が優勝!!  第2位は順々決勝で、子供チームに勝った佐藤、野崎組 第三位は、住吉さんおじいちゃんお孫さん組でした、参加者のみなさん楽しいレースをありがとう!!.コミッテイお手伝いの方々ありがとう!! 

2010年8月28日土曜日

明治三年の神戸の海図





NET検索をしていて、古い海図に出くわしました.1870年の海図、英語の海図なので、イギリスの測量艦が造ったものかな??
神戸の、開港後の海図ですが、和田岬、川崎鼻、神戸村、神戸海軍操練所後の、イギリス領事館&ドックがハッキリ出ています.この場所で大熊実次郎が、塩飽大工と共の働いていたのだと、想いは明治初期、まだ、大阪港のほうが、居留地や施設の建設が早く、川口周辺が洋風の建築が増え、大阪の顔となり始めたころの、神戸ですから、まだまだ、港としても町としても、成長期以前の姿です。この海岸が、今の港神戸に変わって行ったのだとは、思えない程何もない海岸です.この港の発展と共に、塩飽の人たちが、多くの仕事をして、神戸を生活の場として、暮らして行ったのでしょう。

2010年8月25日水曜日

万延遣米使節御子孫探し


 毎日、何処かの教育委員会に頼まれた、博物館、図書館関係者から、電話が入る.昨日も東京から、都立中央図書館の方から電話をいただき、明治以後の住所等が解れば、何とかなるのですが、との連絡がありました。江戸にお住まいの方が多かったので、なかなかむつかしいですね。幕臣のお寺を探す方が、うまく行くかも.その後、本島喜八郎の御子孫から電話があり、今回の式典を喜んでいただき、我ながら喜んでいます。さてさて、本島喜八郎戸は、??佐賀藩の殿のおそばに仕える、名家の方ですが、長崎海軍伝習所にも伝習生として参加、その後江戸に出て、江川太郎左衛門の門下生となる。万延遣米使節で,渡米、大西洋インド洋廻りで帰国、佐賀藩の工業の担い手の一人だった。
その方の御子孫と、上司の外国奉行支配両番格調役 塚原重五郎 昌義の御子孫が150年目の再会を果たします.これは素晴らしい、スクープですよ〜〜

2010年8月21日土曜日

万延遣米使節150年記念事業






 長々強いタイトルの事業ですが、この9月25日に横須賀で行ないます.数年前から私の頭の中をよぎっていた.咸臨丸の意義とポーハタン号に乗ってパナマからカリブ、大西洋に出て,ワシントンを訪問した、遣米使節正使一行の話等、頭をよぎりながら、今年2010年を考えました。日本が独立国として最初に外国と結んだ国際条約の批准と言う、大きな仕事を任された、この一行を、今の日本の人たちはどのように考えるだろうか?咸臨丸は、日本人初の快挙とか、大きく知られているのはなんでだろうか??疑問を持つ中で、歴史とそのときの政治の動きの影が、大きく影響しているのが見えてくる。その事を書き出すと永くなるので.この事業の準備がスタートし、最近になり頼んでいた、外務省の後援名義をいただき、実行委員長として、私が、万延遣米使節の子孫探しを本格的に進めだした事のお話をします.この計画を考え始めたころから、各地の郷土史家や、書物等の検索はしており、ある程度の人の目星はついていましたが、いざ探し出すと壁も多く大変でしたが、この数日前から、関連の教育委員会への紹介が伝わり、情報が多く入ってきました。
 佐賀県から、島内栄之助の御子孫、川崎道民の御子孫、熊本県から木村鉄太の御子孫、秋田県から、三浦東造の御子孫が、連絡が取れ、9月25日の記念式に参加されると連絡を受け、喜んでおります。他に、大分県から佐藤恒蔵の御子孫が、横浜におられそうだと情報が有り、岡山や茨城、山梨の教育委員会から調査中との連絡があり喜んでおります.事前の調査で、ほんの数人しか、解らず苦慮していましたが.目標の20名以上の御子孫参加に,近づけそうに思っています。御子孫の片からの電話もいただき、今回の事業に対して.ご賛同と、喜びを語っておられました.ある御子孫の方は、『先祖は、武士になりたくて江戸の出て、遣米使節団に入り、帰ってきたら、何も語っては行けないと、故郷に送り返され、不遇な人生を終えたました。その先祖たちの、業績を称え記念する事が150年目にして出会える事は家の名誉とご先祖の供養になるので、参加を決めました』と語ってくださいました。 これから9月迄頑張って御子孫探しに励みます。

2010年8月16日月曜日

クルージング8/15







 毎日健康に、よく食べよく飲みよく寝る、ぴぁぐれーすのクルー 船長、秋津洲 シェフ松平 飲み食い専門sige と私、酔人漫、その船についてきた ステラマリス、オッチャンバンマス&クルーみんな楽しく最終日、朝食は、温かいご飯に、豆腐、サラダ、真魚鰹のアラの煮込み
おいしい朝ご飯をいただいて、ミーティング 本日の予定は、9時福田出港3 時明石海峡通過 北港到着7時の予定.昨年の明石海峡反流利用作戦には、すこし遅いスタートでしたが、氷を仕入れて、いざ出発、風もそよそよの午前中の情況でした.船長は、ケンケンしかけの修復に夢中、私は、お昼ご飯に、昨日いただいた、蛸料理を考えています。昨日の土庄のスパーで豆腐と一緒に買った、大根を利用して、蛸のしぐれ煮に久々挑戦!!11時過ぎから料理開始、昆布だしを取り、酒と醤油 蛸の粗を煮込んで.生姜、うす揚げ、豆腐、大根おろしを入れて煮込み、最後に、片栗を入れて、とろみを着け、ネギを入れ出来上がり。 吉田湾の蛸のしぐれ煮です。昼食の準備が整った頃、船長が、おかしいで、仕掛けが寄っとる、ケンケンしかけを引っ張ると重い!! 水中に光るものも見えました.次の瞬間前の光るものが外れましたが、後ろの仕掛けに40cm程の、シイラがかかっておりました.久々の釣りの成果です。すぐさま シェフ松平が、3枚に下ろし、刺身でいただきました。色の変わらないうちのシイラの刺身は初めての経験でした。お昼も過ぎ、淡路島に近づいてきましたが、潮の流れが強く大変でしたが、富島の前に来ると潮も楽になり、吹き下ろしの風と相まって、スピードが上がり、みんな頑張ってトリムしました、最初は7kt前後でしたが、8〜9kt 最後には、反流にも乗り10ktオーバーで走り、3時の転流時には、海峡の中央を橋の下をくぐり進んで行きました.大阪湾に入り風が南西風になり.あまり良い風でなかったですが.無事に北港に6時過ぎに到着、ご苦労さんでした。
本日の走行距離 55マイル 消費燃料18L エンジンも問題なく無事到着  クルーの燃料 麦汁飲料14L(生ビール、ノンアルコール含む))ソフトドリンク(お茶・アルカリイオン水を含む)2L  お出迎えのヨッシーが ビール1ケース持参、ご苦労さんの乾杯をする!!
 ああ〜あ またきっちり整備せんと遊びに行ったらあきまへんで〜  次回はウッドンレースか??

クルージング8/14







 牛窓の一夜が開け、早朝から自転車を借りて、お散歩、気になっていた友人のトルコの船を見に行く、彼の手から完全にはなれたら良いのだが、色々人の話を聞いたが、良い方向に向かってほしい.その船を見てから、牛窓の街迄,豆腐を探しに走ったが、本日から盆休みで、締まっている店ばかり(早すぎる!!) コンビニにも豆腐は無く、渋々ハーバー迄戻る、また一汗!朝食は、昨夜のアルコールも残っているので、毎度おなじみ、碁石茶の茶粥、一同一息ついて、洗いもんをしていた船長が、くるくる回っている、石鯛みたいな稚魚発見、縞模様が特殊なので捕獲、記念写真を撮る。私は、船底に吸水口につまり物が無いか、チェック、ひと泳ぎしました。9時前に出港、直島に行こうと思っていましたが、福田港での予定をにらみ、土庄東港へ、露天風呂に入って、冷たい生ビールに意見が一致、一目散で向いました。昨年と変わり、ぼろぼろのポンツーンが、高速艇が着けるきれいなものに変身しており、これも、ベネッセが係わっている、瀬戸内国際芸術祭2010のお陰なんでしょうか?このままこの施設が残れば、良い寄港地になりそうです.みんなで上陸.スーパーマーケットの冷房の効いた店内をとおり、オリーブの湯へ、みんなリラックスしていい湯につかり、おいしいそうめんを食べ、冷たい生ビールをいただきました。
1時に出港、福田港を目指しました。福田港では、pingfuのおっちゃんが、吉田湾でとれた蛸を持って、お出迎え、早速近所のお店で生ビールで、乾杯! 5時のフェリーで、akashi tako 帰京 みんなでビール片手にお見送り その夜は、予約していた旅館で、お風呂と宴会、タコがおいしかった〜〜 ゆっくり飲み食いお風呂で汗を流し、船についてから、もらった蛸を湯がき,保存
 本日の走行距離 38マイル 消費燃料12L エンジンも問題なく無事到着  クルーの燃料 麦汁飲料20L(生ビール、ノンアルコール含む)ワインシャンパン(1.L)日本酒0,7L  ソフトドリンク(お茶・アルカリイオン水を含む)1L

クルージング8/13







 台風の出現で、予定が変わり、12日の夜にハーバーに集合、13日早朝出港の予定で事は進んだが、先日の乗架で気になった、排気の件を忘れていたのが、まず第一のトラブル、エンジン始動しても、なかなか排水が出てこない.これはおかしい!!、エンジンチェック、やはり、インペラが破損していた.ストックの部品と取替、それでもなかなかスムースな水の出でない。給水側の問題かチェック、そうでもない??何だろう?? 給水側のパイプが長いので、短くカット、すこし水の出が良くなったので、40分遅れで出港、 5時に舞洲沖通過、6時に神戸空港近く、其処で明石で積む予定の、akashitakoの事を思い出す.7時過ぎに着くように、予定してたんですが、こりゃ間に合いません.電話連絡で遅れる事をお知らせ、7時過ぎに、須磨沖、橋をくぐり、8時前に明石港入港、明石ヨットクラブのポンツーンから akashitako乗船、予定時間に出港した、ステラマリスを追いかけて.播磨灘を追走、薄曇り、もやっていて遠くは見えませんが、極端に暑くない日和でした.まずは、うがい薬を飲み、家島を目指す.12時に家島群島ど真ん中、素麺を湯がき、昼食!! 2時には小豆島にかかる所迄到達、風が良かったので、フルセールでセーリング、なんやかんやで、4時に牛窓ヨットハーバー着、入港手続き、料理準備をして.シャワーで汗を流し、ステラマリスと2艇並んで、総勢7名のパーティ^が始まる.先日児島で買ってきた真魚鰹と、焼肉、温野菜のサラダ、シャンパンで乾杯 ビール&日本酒&Ram&ワイン すこし小雨に振られましたが、楽しい夜でした.本日は、酔っぱらって、写真なし 14〜15と続く 本日の走行距離65マイル 消費燃料20L エンジンも問題なく無事到着  クルーの燃料 麦汁飲料16L(ノンアルコール含む)ワインシャンパン(1.5L)日本酒1L  ソフトドリンク(お茶・アルカリイオン水を含む)2L

2010年8月12日木曜日

〜〜ああ〜〜夏休み〜〜!! 急遽墓参り



 台風4号のお陰で.11日早朝に、車で西を目指す.眠い目をこすりながら.嫁と目指すは,倉敷市児島 児島観光港 6時25分発の、高速艇に乗り本島へ、まだ台風の気配はないが、蒸し暑い、いつものように、竹を切り、花立てを製作、20本程造って.家を掃除して、9時から、墓掃除&墓参り、車でないので、自転車で、自宅と各墓地と、行ったり来たり、最初は、宮の浜,次に大仙寺、その頃急に雨がぽつぽつ、私は.新在家の先祖へ、実次郎さんのお墓と、文吉爺さん、金造さんの墓に、花立てを立て替え新しい青竹の花立てに、樒を埋けて、きれいになったお墓を見て一安心、本来は12日墓掃除、13日墓参りですが、今年は、省略、少し早くてすいません。夕方の船で本島を離れるころは、台風の風も吹出し、次第に、天気が悪くなって来ました.児島に着いて、車で、桂のおばちゃん所により.恒例の 真魚鰹をてにいれ、これで、13日からのクルージングの準備が揃いました.〜〜ああ〜〜夏休み〜〜!!

2010年8月10日火曜日

お盆クルージングに嫌なゲストが?


 毎年恒例、ピアグレースの、お盆のクルージングに。ディアンムーという、べっぴんさんが参加?? 秋津洲船長に連絡、『何やら南の海上で、台風第4号 (ディアンムー)が、昨夜誕生しております。今後の進路予想では、朝鮮半島に当たるか、対馬海峡日本海オホーツク海~大平洋
誰かの歌とは違いますが!! 注意するにこした事は、ございません。11日早朝の出発を、13日朝に変更、天候の様子を見て、14日の夕方に小豆島の、福田港に行けるように考えます。私の予定は、11日車で帰省、墓参りをすまし、11日夜中に大阪、12日は、台風通過を船で見守ります。12日の夜には、中村シゲが現れ、13日、天候の具合を見て出発、14日に小豆島福田 15日に、淡路島によって、16日に大阪に帰ってこようと思っています。参加者のみなさんの予定変更をお願いします。』返信は、『ほんまにあつーおまんなア 変更了解。
こちらはなんとか12日のお寺さんを済ましたらまごまごも解消しそうなので 13日からはOKになりそうです。よろしくおねがいします。    ひがし~しなかい~ 播磨灘~。  秋津洲 』  どないなるのか、クルージング??

2010年8月6日金曜日

暑いけど順調でした





 朝から、奥池の現場へ、日差しのきつい中、みんなに頑張れと現場を頼んで、事務所に帰り、昼前から、ウオールナットの製材へ、この製材で、昨日決めた材料が生きるか死ぬか、大変な製材です。70mmの材を、半分に割って、最終20mm仕上がりの、材をブックマッチで6枚セット、これを、使う家具、すごい迫力です。それを生かす殺すも、この木取りの判断です。色々な情況を考え、墨をして指示。そして製材旗で、カットする。午後1時から4時過ぎ迄,製材所にも無理を言って、予定していた材から、全ての用材が取れそうです。すこし一安心です。でも今日は。暑かった、日差しのきつい現場で頑張っている、みんなの顔が頭をよぎった、その後、現場の塗装屋さんから電話があり、こちらのお手伝い要員が、役に立ってよかったと電話があり、嬉しかったです。彼女らの頑張りに拍手です。

2010年8月5日木曜日

8月5日





 暑い毎日が続きます。私は、盆開けからの仕事の材料の選定に動き回りました。ウォールナットの無垢材、5M近い長尺のもの6枚、3M近い、天板様の製材品を、まとめて買い付け、明日製材します。うまく,木取りができれば良いのですが、木目や節、色等、お客さんの好みに合う素晴らしい材に恵まれましたが、製材一つで、木を殺してしまうかも、樹には、命があり、必要な所には、節もあり、人が無理を駆けると、割れもする、そんな樹を、活かしてよう木目を私たちが製作する、お客様の家具になって行くのが、楽しみであり、真剣な取り組みが必要な作業でもあります。この暑い中で、何とか、おとなしく素晴らしい材になってほしいです。
 素晴らしい話は、私たちが、ニュージーランドから、20年前に日本に持ち込んだ、ラトル&ハムがパールレースでも好成績を挙げて、頑張っています。色々大変なこともありましたが、N君たちが、頑張っているのが、とても誇らしいです。
 今月の末に本来なら、桑港に行きたかったんですが、色々忙しくて身動きが取れず、断念しました。今回のツアーに参加される皆様に、コルマ墓地での墓参、よろしく御願いします。150年が経ったんですね。