2010年10月25日月曜日

本島にて






 10/23〜24と本島へ、咸臨丸渡米150周年記念事業の関連で、朝のうちに仕事を済ませ、高速に乗る、神戸あたりで込み、淡路島〜鳴門〜高松道で丸亀に着いたら、3時でした、3時30分のフェリーが、本島に車を渡せる最終の便ですので、あわてて乗船、落ち着いてから、客室に入って行くと、諌早から、宮三郎さんが・・・本島迄の時間色々と話が弾む・・・ 到着して、早速、勤番所によりそれから帰宅、墓参りの準備をして、出かける。宮三郎さんからの夕食の誘いがあり、彼の友人宅へ!色々話が盛り上がり、帰宅したのは11時前.フロに入って就寝、翌日6時に、起床 7時過ぎに船着場の顕彰碑除幕式会場へ、準備を手伝う、島の多くの方々が力を合わせ、この事業に協力しているのがよくわかりました.丸亀市から職員が10数名参加しており、みんなで盛り上げていました、8時過ぎのフェリーには、多くの島外の人たちが、この式に参加するため、乗ってきました。9時から式典が始まり、除幕、開眼法要、祝辞と進み、私が最後に一言、本当にありがとうございました。その後小学校で、入江先生の記念講演がありました。昼食を済ませ、帰りの船に乗る頃には雨は本降りになり大変でした。
帰りの船で,となりに座った方が、真木先生のお孫さんで、真木資料の顛末の謎が解け、次回はこの資料に取り組めるかを確かめてみたいと思っております。

2010年10月13日水曜日

ブルックさん帰る。



 9月25日の万延元年遣米使節一五〇周年記念式典に参加する為来日していた.ブジョージ・M・ブルックⅢ夫妻が、本日,高知から大阪空港〜関空からの便で、おかえりになった.3週間の日本旅行を楽しんだようです.最後の土佐の高知で講演会、そして、ジョン万次郎の故郷土佐清水によったそうです。私たちのイベントに、参加していただき本当にありがとうございました.私は、関空に送ったときに、これでまた、島に帰った時、大熊実次郎の墓に、報告する事が一つ増えたと喜んでいます。塩飽の水夫のまとめ役だった実次郎に取って、咸臨丸の航海は、本当に大変だったと思います.経験した事のない荒天帆走や嵐にほとんどの水夫が付いていけづ、ブルックさんのアメリカの水兵たちに、船を任せ、何もできなかった屈辱と、頭を下げて彼らを見習って、帆走術を盗み学び頑張った事が、皆ブルックさんへの感謝に変わったのだと思います。彼らの力を借り、それ以上に成長し、塩飽の水主たちは、国に帰ってきたと思います.日本人として。

2010年10月11日月曜日

樹を生かす。






 9月25日の万延元年遣米使節一五〇周年 記念式典で,横須賀へ行ってから、すこし疲れたような日々をすごしていましたが.10月1日に、植松三十里先生を囲んで、仲間たちと楽しい時間を過ごしました.仕事の方は、かねてから銘木を使った、リフォームの工事が終盤を迎え、引き渡しになりました。私が、半年前から探していた.色々な木が、お客様の住宅で素晴らしい仕上がりを見せてくれています。本当の自然な木の素晴らしい姿です.私の写真なので、その素晴らしさを表現でいているか??? この木は、300年程の成長の間に色々な条件で、この木目に出ている、チジミ模様が現れてきたのだと思いますが、ブラックチェリーとウオールナットの二つの木がこのように、揃って、素晴らしい木目がならんだのは、良い木に巡り会えた物だと思っています。木の心を、家具に表現できるのは、製材から仕上げ迄,私たちが全て管理できた、このお仕事の成果だと思っております.お客様に直接素材提案をさせていただいた、設計者や、管理者に感謝します。
 今後もこのような、関係でのお仕事を続けて行きたい物です。