2011年3月25日金曜日

プレートの位置




 大熊実次郎が,大熊文吉の東隣のすんでいたのは,真木信夫先生の書物で,はっきりと書いています.その場所の昭和5年の写真です。
ちょうど,今の写真の90°東から撮った写真です.手前の家が,大熊文吉の家で,実治朗の家跡は,多くの人の影になっています。今は道と防波堤が在りますが,昔は,あの場所の際迄、浜辺で,潮が満潮なら波打ち際でした。
実際の実治朗の生家は,写真多くに写っている道をまっすぐ100m程行った,竹林の際の古井戸の在る所だそうです(藤本シズエ談)

2011年3月24日木曜日

木の船ですよ〜〜




 建造中の,新艇の,外板が 貼り上がり,船台から外し,船らしい姿になりました.これから,ヨットとしての大事な部分を仕上げていきます。やはり、エコロジーを考えると,グラスファイバーや,樹脂をあまり使いたくないですね.さて何が,防水や,紫外線に強いのかな〜〜 木造船ら私意、色に仕上げてみたいですね。

久々の対面



 数年前に,かわいそうなぐらいに,押さえつけられ,ボルトで無理矢理引っ付けられて,大きく反り返って大きな割れを生じていた,大きなブビンガのカウンター、この木は自由になりたかっただけなのに.私に依頼があり,ボルトを外し,ストレスを抜いて,おとなしくなるように,塗装を剥がし,木の表面で息をさせてあげたカウンター、あの時,おとなしくさせてから,また1枚のカウンターに削って仕上げて、OILをしみ込ませ,カウンターの天板として,再生した彼に,久々今日であいました。少し,表面のOILが,少なくなってきていますが,何とかおとなしく,カウンターの天板として,座っておられました.久々なので,やさしく手で触れて,挨拶をしました。彼は,これからも,このカウンターの天板として,生きて行くでしょう。おとなしく,自分を主張している君は,この場所の親父、いや、マスター、だと感じました。

2011年3月22日火曜日

新艇建造中



 関東東北の地震等,色々ありまして,今や原発問題で,世間はうるさく,そして,仕事は先が見えない,大変な時代に突入してきました。
そんなときに,何を考えたか?? 新艇を建造し始めました。過去に造った、OP型のディンギーより,多くの重量に耐え,沈みにくく,浪に強く,簡単に操縦でき,エコロジーな船を考えてみました。少し楽しくなる話題を造りたい気持ちと,これ迄利用していた,アクセスディンギーが,あまりにも高価になった事が、きっかけで、ぜひ造りたいと思っていた私に,火をつけました。さていつ頃完成するか,お楽しみです。

プレート



 プレートといっても、地震を起こすプレートとは違います。我が塩飽本島にて,咸臨丸の水主の顕彰碑の為に集った寄付金のあまりで,咸臨丸の水主のお墓や家等を解りやすくする.ステンレスの銘板のプレートです.彼岸迄に,島の色々な水主に由来する場所に,取付けられました.大熊実次郎の,埋墓と最後の暮らした家の跡に,プレートが立てられました。銘板には,生家と書いていますが,ここは,江戸時代は海岸で,砂浜でした。実は明治の末に本島で暮らした家が,大熊文吉(私の爺さん)の家の東隣と本に書いてあるのでここにしました。
色々と意見は在ると思いますが,よろしく御願いします。

2011年3月17日木曜日

安否捜索


 地震に遭われた人たちの捜索,消息を知りたい.連絡が取れない知人がたくさんいます。何とか調べたいと,多くの仲間に相談したら,横浜の皆川さんから、Person Finder (消息情報): 2011 日本地震 http://japan.person-finder.appspot.com/ このページを教えて,いただきました.お陰で,菱垣廻船『浪華丸』の建造でお世話になった,新沼棟梁が無事だったのや,石巻の本間さんたちの,消息が解りました.石巻の方々は,旧北上川の西岸の,日和山に避難して助かった物と思われます。まだ消息が解らない方が在りますが,ガンバって探してみます. Google に感謝!! Facebookの仲間に感謝!!『日和山(ひよりやま)は、宮城県石巻市にある低山である。標高56.4メートル。
旧北上川の西岸、鎌倉時代に葛西氏が石巻城を築き、室町時代まで維持された。1689年(元禄2年)5月10日には松尾芭蕉が訪れ、同行の弟子河合曾良が眺望を日記に記した。山上に2人の像が立つ。現在は神社と日和山公園があり、桜とつつじの名所とされている。』

2011年3月15日火曜日

気になる三陸



 今回の地震は,あまりの大きさに驚くばかりだ、東京にいる息子たちは,早く連絡が取れたが,震源に近い,福島、宮城、岩手の方々が気になる.特に石巻の本間さん、石巻千石船の会の中心的な方で,『あこがれ』の、北海道迄の航海の、石巻の受け入れの中心になってくれた人だ.咸臨丸子孫の会の特別会員でもある。地元のヨット界でも有名な方だ,未だ連絡がとれない。大船渡の,新沼棟梁、と平山憲治さん、菱垣廻船浪華丸の建造に関わり,試験航海で一緒だった.彼らが造った.気仙丸もどうなったのか??  
 北の,宮古も気になります。いわてマリンフィールドのみなさん、橋本久夫さんご無事でしょうか? 多くの,三陸の仲間の顔が浮かびます.連絡が取れる事を祈っております。

2011年3月10日木曜日

大阪大学中之島センターにて



 かねてから予定されていた.大阪船舶倶楽部の月例会から帰ってきました。遣米使節の外国方の塚原但馬守昌義の御子孫に頼まれていた、大阪船舶倶楽部の講演,何とか無事におわりました。何の?講演 きまってまんがな! 私のお話は,樹の話か木工の話 船の話いやいや,咸臨丸のお話です。昼前から,中之島の大阪大学中之島センターへ、なんと,福沢のおっちゃんが,生まれた玉江橋の朝日放送の対岸、元大阪大学の学舎跡に,立っているビルです.ここの7階のセミナールムで,講演です.娘のmacから、プロジェクターに接続、画面設定が,でたらめで,うまく行かず,慌てましたが,さすが大学、macもうまく動き,講演準備が整い、会員が50名弱あつまり、昼食を済ませて、私の講演が始まりました。1時間半の時間で駆け足で,咸臨丸の歴史,そしてその後の,乗組員たちの話をしたら,終わりの時間が迫ってきましたが,最後に質疑をすませ,無事終了、本当にありがとうございました。このような場所での講演会も良いもんです。

2011年3月3日木曜日

塩飽島戦記 販売します。



 今日から、諌早在住の、塩飽のかたりべ 吉田幸男さんの、自費出版『塩飽島戦記』の、販売を関西地区総代理店として、やりまっせ〜〜
本人曰く『塩飽の歴史を書き始めようやく天正年間より江戸時代始めまでです。江戸時代幕末が残っており又もう一息意かと思っております』 歴史に興味のある方、送料込み ¥1500 で販売します。詳しくは、メールで