2010年8月21日土曜日

万延遣米使節150年記念事業






 長々強いタイトルの事業ですが、この9月25日に横須賀で行ないます.数年前から私の頭の中をよぎっていた.咸臨丸の意義とポーハタン号に乗ってパナマからカリブ、大西洋に出て,ワシントンを訪問した、遣米使節正使一行の話等、頭をよぎりながら、今年2010年を考えました。日本が独立国として最初に外国と結んだ国際条約の批准と言う、大きな仕事を任された、この一行を、今の日本の人たちはどのように考えるだろうか?咸臨丸は、日本人初の快挙とか、大きく知られているのはなんでだろうか??疑問を持つ中で、歴史とそのときの政治の動きの影が、大きく影響しているのが見えてくる。その事を書き出すと永くなるので.この事業の準備がスタートし、最近になり頼んでいた、外務省の後援名義をいただき、実行委員長として、私が、万延遣米使節の子孫探しを本格的に進めだした事のお話をします.この計画を考え始めたころから、各地の郷土史家や、書物等の検索はしており、ある程度の人の目星はついていましたが、いざ探し出すと壁も多く大変でしたが、この数日前から、関連の教育委員会への紹介が伝わり、情報が多く入ってきました。
 佐賀県から、島内栄之助の御子孫、川崎道民の御子孫、熊本県から木村鉄太の御子孫、秋田県から、三浦東造の御子孫が、連絡が取れ、9月25日の記念式に参加されると連絡を受け、喜んでおります。他に、大分県から佐藤恒蔵の御子孫が、横浜におられそうだと情報が有り、岡山や茨城、山梨の教育委員会から調査中との連絡があり喜んでおります.事前の調査で、ほんの数人しか、解らず苦慮していましたが.目標の20名以上の御子孫参加に,近づけそうに思っています。御子孫の片からの電話もいただき、今回の事業に対して.ご賛同と、喜びを語っておられました.ある御子孫の方は、『先祖は、武士になりたくて江戸の出て、遣米使節団に入り、帰ってきたら、何も語っては行けないと、故郷に送り返され、不遇な人生を終えたました。その先祖たちの、業績を称え記念する事が150年目にして出会える事は家の名誉とご先祖の供養になるので、参加を決めました』と語ってくださいました。 これから9月迄頑張って御子孫探しに励みます。

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