明治三年の神戸の海図
NET検索をしていて、古い海図に出くわしました.1870年の海図、英語の海図なので、イギリスの測量艦が造ったものかな??
神戸の、開港後の海図ですが、和田岬、川崎鼻、神戸村、神戸海軍操練所後の、イギリス領事館&ドックがハッキリ出ています.この場所で大熊実次郎が、塩飽大工と共の働いていたのだと、想いは明治初期、まだ、大阪港のほうが、居留地や施設の建設が早く、川口周辺が洋風の建築が増え、大阪の顔となり始めたころの、神戸ですから、まだまだ、港としても町としても、成長期以前の姿です。この海岸が、今の港神戸に変わって行ったのだとは、思えない程何もない海岸です.この港の発展と共に、塩飽の人たちが、多くの仕事をして、神戸を生活の場として、暮らして行ったのでしょう。
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