2011年3月25日金曜日
2011年3月24日木曜日
久々の対面
数年前に,かわいそうなぐらいに,押さえつけられ,ボルトで無理矢理引っ付けられて,大きく反り返って大きな割れを生じていた,大きなブビンガのカウンター、この木は自由になりたかっただけなのに.私に依頼があり,ボルトを外し,ストレスを抜いて,おとなしくなるように,塗装を剥がし,木の表面で息をさせてあげたカウンター、あの時,おとなしくさせてから,また1枚のカウンターに削って仕上げて、OILをしみ込ませ,カウンターの天板として,再生した彼に,久々今日であいました。少し,表面のOILが,少なくなってきていますが,何とかおとなしく,カウンターの天板として,座っておられました.久々なので,やさしく手で触れて,挨拶をしました。彼は,これからも,このカウンターの天板として,生きて行くでしょう。おとなしく,自分を主張している君は,この場所の親父、いや、マスター、だと感じました。
2011年3月22日火曜日
2011年3月17日木曜日
安否捜索

地震に遭われた人たちの捜索,消息を知りたい.連絡が取れない知人がたくさんいます。何とか調べたいと,多くの仲間に相談したら,横浜の皆川さんから、Person Finder (消息情報): 2011 日本地震 http://japan.person-finder.appspot.com/ このページを教えて,いただきました.お陰で,菱垣廻船『浪華丸』の建造でお世話になった,新沼棟梁が無事だったのや,石巻の本間さんたちの,消息が解りました.石巻の方々は,旧北上川の西岸の,日和山に避難して助かった物と思われます。まだ消息が解らない方が在りますが,ガンバって探してみます. Google に感謝!! Facebookの仲間に感謝!!『日和山(ひよりやま)は、宮城県石巻市にある低山である。標高56.4メートル。
旧北上川の西岸、鎌倉時代に葛西氏が石巻城を築き、室町時代まで維持された。1689年(元禄2年)5月10日には松尾芭蕉が訪れ、同行の弟子河合曾良が眺望を日記に記した。山上に2人の像が立つ。現在は神社と日和山公園があり、桜とつつじの名所とされている。』
2011年3月15日火曜日
気になる三陸


今回の地震は,あまりの大きさに驚くばかりだ、東京にいる息子たちは,早く連絡が取れたが,震源に近い,福島、宮城、岩手の方々が気になる.特に石巻の本間さん、石巻千石船の会の中心的な方で,『あこがれ』の、北海道迄の航海の、石巻の受け入れの中心になってくれた人だ.咸臨丸子孫の会の特別会員でもある。地元のヨット界でも有名な方だ,未だ連絡がとれない。大船渡の,新沼棟梁、と平山憲治さん、菱垣廻船浪華丸の建造に関わり,試験航海で一緒だった.彼らが造った.気仙丸もどうなったのか??
北の,宮古も気になります。いわてマリンフィールドのみなさん、橋本久夫さんご無事でしょうか? 多くの,三陸の仲間の顔が浮かびます.連絡が取れる事を祈っております。
2011年3月10日木曜日
大阪大学中之島センターにて


かねてから予定されていた.大阪船舶倶楽部の月例会から帰ってきました。遣米使節の外国方の塚原但馬守昌義の御子孫に頼まれていた、大阪船舶倶楽部の講演,何とか無事におわりました。何の?講演 きまってまんがな! 私のお話は,樹の話か木工の話 船の話いやいや,咸臨丸のお話です。昼前から,中之島の大阪大学中之島センターへ、なんと,福沢のおっちゃんが,生まれた玉江橋の朝日放送の対岸、元大阪大学の学舎跡に,立っているビルです.ここの7階のセミナールムで,講演です.娘のmacから、プロジェクターに接続、画面設定が,でたらめで,うまく行かず,慌てましたが,さすが大学、macもうまく動き,講演準備が整い、会員が50名弱あつまり、昼食を済ませて、私の講演が始まりました。1時間半の時間で駆け足で,咸臨丸の歴史,そしてその後の,乗組員たちの話をしたら,終わりの時間が迫ってきましたが,最後に質疑をすませ,無事終了、本当にありがとうございました。このような場所での講演会も良いもんです。