2016年7月27日水曜日

大阪港開港150年記念事業

  大阪港開港150年を記念して、市民に
  大阪港が、川口富島にて、慶応4年(1868年)7月15日に
  開かれた。史実と,淀川水系安治川、大阪の地の海への窓口で
  此所から、日本全国に海運が広がっていた地です。その地が
  開港して、世界中の、港とつながり、大阪が日本を代表する港

  湾都市 大阪が生まれたのです。
  現在、市民に忘れ去られた、川口や富島港を、大阪港開港の
  地として、認識してもらうイベントとして、当時、人力か帆走
  で動いた、船舶を思い起こさせる。誰でも安全で簡単に乗れる
  アクセスディンギーを,多くの市民に、体験乗艇していただく
  企画です
  アクセスディンギーは、1999年春に行われた第4回OSAKA
  CUP メルボルン・大阪ダブルハンドヨットレースの開催が生んだ        
友好がきっかけとなり、同年8月、4隻のアクセスデンギーが、
  姉妹都市である豪州,メルボルン市から、大阪市に寄贈されました。
その後、大阪市舞州障害者スポーツセンターにより保管され、
大阪市北港ヨットハーバー、大阪市港湾局など方々の協力で、
私たちSAILABILITY OSAKAによって、試乗会が継続実施され
年齢、障害、そして地域を問わず様々な人達に、セーリングを
体験していただき、毎年4月から11月の週末大阪北港マリーナで
体験乗艇を開催し大変好評を頂き活動しております。
   セーリングが持つ可能性と、その素晴らしさを再認識した我々は、より多くの人々に広め、そして多くの人に大阪港開港の地を
知ってもらえるため回の大阪港開港150年を記念して
川口富島港前の安治川で、中央市場と中之島の間の水面で
市民体験乗艇会を、開催したいです。

波動エネルギー

波の力で,船を動かす,実験船の建造を考えています。波のエネルギーを,うまく行かせるか,がんばってみたいと思います。  但し 波動エネルギーを,大きくまとめたら、ヤマトの、波動砲には,決してなりません!!

2016年1月7日木曜日

新しい年を迎えて

2016年 新しい年を迎えて、樹望塾、私自身や,会社、セーラビリティ大阪 咸臨丸子孫の会、等の、私を取り巻く環境が、急変した昨年でしたが、私自身は、変わっておりません。
 これから此のページでも、今の活動や、考え、新しいお仕事や、新しい技術、樹望塾の枠を越えたお話を含めて,語っていきたいと思います。急に活動が少なくなった樹望塾でしたが、まだまだがんばりまっせ〜〜
 昨年は、会社の規模縮小、レンタル工房の設立、螺旋階段の手摺工事、新しい障害者ヨットの開発など、多方面での活動がスタートさせていました。少人数で、新しい事を築いていく事が大好きな私に取って、これからの出発点だと思っております。 これ迄と同じく、小学校の同窓会のクラスのまとめ役、ヨットクラブの理事、障害者セーリングの会の世話人、咸臨丸子孫の会の会長、一般社団法人 港まちづくり協議会大阪 全国北前船研究会㈲藤本木工所の社長、樹望塾の塾長,木造ヨット ピァグレース管理人兼船長,タレちゃんのお散歩おじさん、を続けていきますので、よろしくおねがいします。日々の色々な話題も語っていきたいと思います。タレちゃんナウは、facebookでごらんください!!

2015年9月29日火曜日

スタートした、レンタル工房 樹望塾

 9月から、レンタル工房としての営業が始まりました。
最初のお客さんは、関東から、運送用のパレットで,簡単な家具を造る方が、作業スペースを2日間借りたいとの電話があり、駐車スペースを2日間貸してあげました。
 パレットを、解体して、ベットや、棚らしき物を製作して、お客さんに,納品して帰って行きました。此のスタイルで全国でお仕事をしているみたいです。私の、ビッキリするようなお仕事でした。
9月20日には、起業を志している、若者が、工房に入所しました。これ迄務めていた会社を辞めてより自分の技術を磨く為にやってきました。これからの彼の成長を,近くでみれるのが楽しみです。
 これからのレンタル工房樹望塾は、作品造りにスペースのいる方や、木工機械を使いたい方に。色々な使い方で利用していただきたいと思っております。まずはすこしづ津、動き出します。

2015年5月21日木曜日

柳宗理先生の生誕100年をむかえて

    柳宗理先生の生誕100年をむかえて 

 ステンレスボールやバターナイフ、バタフライチェアー
私が、工芸高校に在学中に,柳宗理の作品をいくつか見た事があり素晴らしいデザイナーである事をおぼえていますが、その父が、 宗悦 民藝運動を起こした思想家美学宗教哲学者
母が、柳 兼子 声楽家である。
 あまり私たちには関係のない世界の人かなと考えていましたが、

柳 兼子の旧姓が中島で、父が、幕府オランダな留学生の、彼は中島兼吉です。彼は,文久2年に榎本武揚,西 周等の留学生一行とともに,江戸から咸臨丸で長崎に行きそこからオランダ船でジャワ〜オランダへ、そのとき咸臨丸は、初めて航海の途中で塩飽島の前に一晩泊まり、塩飽からの留学生も、故郷に一晩泊まり、故郷のみんなに別れを告げ、一行と一緒に長崎に向った。 当時の咸臨丸の水主小頭は、私の母のご先祖の大熊実次郎です。

中島兼吉は、越後(えちご)(新潟県)高田藩のお抱え鋳物師(いもじ)文久2年幕府オランダ留学生として留学 開陽丸で日本に帰り、維新後,大阪砲兵工廠副提理などをつとめ, 明治14年中島鉄工場をひらいた

 彼は、オランダ留学の間に、オランダの女性と恋仲になり、日本に帰国時には彼女のお腹の中には子供がいました。そのご出産し女の子が生まれました。此の話は、子孫に,伝わり、柳宗理が、ヨーロッパ留学中に調査していた事は伝わっていますが、発見できませんでした。

 1989年放送のTV朝日の特別番組の中での調査で、判明し、その番組で、榎本武揚役を演じていた桂文枝(当時は桂三枝)が、御子孫の女性にお目にかかり取材しております。(ビールを飲んだ侍達)

 柳宗理先生の名前や作品は、多くの機会で学んだり手に触れたりしましたが、そのような繋がりが在ったのは、驚きでした。


2015年4月8日水曜日

セーリングのシーズンが始まります。

 大阪北港マリーナの,入口に,セーラビリティ大阪の,看板ができました。
 これをみて




2015年3月15日日曜日

アメリカ広葉樹


昨日は,久々に,服部商店の勉強会に参加した,お父さん,いい勉強になりましたか!! おっちゃんナウ!! タレちゃんのお父さんマッサンです。 昨日は,朝10時からの岸和田の服部商店の勉強会に久々参加しました。今回は,服部さんが最近仕入れた,アメリカのホワイトオークの製材でした。ロシアからの木材の仕入れが,難しくなり,これから先のなら材の確保には,資源量の安定しているアメリカ広葉樹でないと難しい(私は相当以前からその考えでした)との、服部さんのお考えで,アメリカ材の上級(ベニヤグレード)の丸太を仕入れ,彼の製材でより良い安定した材の供給を考えての決断でした。これからの広葉樹の事を考えると,アメリカ広葉樹を以下に,日本のグレードで使える物にするのかが課題だと思います。彼のチャレンジに,期待して。応援したいです。