柳宗理先生の生誕100年をむかえて
柳宗理先生の生誕100年をむかえて
ステンレスボールやバターナイフ、バタフライチェアー
母が、柳 兼子 声楽家である。
あまり私たちには関係のない世界の人かなと考えていましたが、
柳 兼子の旧姓が中島で、父が、幕府オランダな留学生の、彼は中島兼吉です。彼は,文久2年に榎本武揚,西 周等の留学生一行とともに,江戸から咸臨丸で長崎に行きそこからオランダ船でジャワ〜オランダへ、そのとき咸臨丸は、初めて航海の途中で塩飽島の前に一晩泊まり、塩飽からの留学生も、故郷に一晩泊まり、故郷のみんなに別れを告げ、一行と一緒に長崎に向った。 当時の咸臨丸の水主小頭は、私の母のご先祖の大熊実次郎です。
中島兼吉は、越後(えちご)(新潟県)高田藩のお抱え鋳物師(いもじ)。文久2年幕府オランダ留学生として留学 開陽丸で日本に帰り、維新後,大阪砲兵工廠副提理などをつとめ, 明治14年中島鉄工場をひらいた。
彼は、オランダ留学の間に、オランダの女性と恋仲になり、日本に帰国時には彼女のお腹の中には子供がいました。そのご出産し女の子が生まれました。此の話は、子孫に,伝わり、柳宗理が、ヨーロッパ留学中に調査していた事は伝わっていますが、発見できませんでした。
1989年放送のTV朝日の特別番組の中での調査で、判明し、その番組で、榎本武揚役を演じていた桂文枝(当時は桂三枝)が、御子孫の女性にお目にかかり取材しております。(ビールを飲んだ侍達)
柳宗理先生の名前や作品は、多くの機会で学んだり手に触れたりしましたが、そのような繋がりが在ったのは、驚きでした。