思いのまま
植松三十里さんの、『群青』を呼んでから,矢田堀景蔵や、永井尚志、榎本武揚、林大学等の 昌平黌が生んだ人たちの事を気にかけて、調べてみました。そもそも幕府の学問所ですから、基本は幕閣体制、武士道、それを支える陽明学が中心だったが、幕末に世界情勢を中国から漢文で知り、蘭学が入り、長崎で蒸気船や、機械類を手にし、多くの事を考えたと思います.基本は、昌平黌の学問でしたが、情勢の違いで、自分たちの徳川幕府より、大きく日本の国を意識するようになって来たのだと思われます。特に咸臨丸でアメリカに行った多くの乗組員や、勝海舟たちが、体感で、自分たちは日本人だと感じていた事が、大きく影響し、オランダ留学や、パリ万博等で、日本としてのどうすべきかとの考えに変化して来たのだと感じました.戊辰戦争で、最後迄戦った人たちは、武士道の考えが、頭から離れなかったのでしょう.榎本や永井は、戦いが日本の為にならない事も理解していて、なおかつ戦ったのだと思います。とらわれの身になって、初めてこれからの国の事を考え、明治の日本の為に働いたのだと思います。矢田堀景蔵は、その事も十分理解し行動しましたが、明治政府の体制が、日本人でなく薩長人だったので彼の力が活かせなかったのだと思います。(今の国も役人という人たちが舵を握りうまく動かないですネ) 現在に置き換えれば、先日あったサミットで、地球環境が大変だと叫びながら、実際はてめえの国の利益とメンツだけで走っている.世界中の指導者たちが、自国の事より、地球人として、この星を考えるようにならないと、この星の上で生活している、多くの生き物に、大変な影響が出る事になるでしょう。 世界環境を、地球人として世界中が考える事が、急務になってきました。 (地球人の意識は,野比のび太君と ドラえもんが、地球の人たちに教えるのか??)
3 件のコメント:
ぅ~ん、なるほど・・・パチパチパチパチ(拍手)
おじょもさん,何感心してまんねん、このお話も、ドラちゃんに似てる人が書いてまんねん!! ドラえもん ドラミちゃん バンザ〜ィ!!!
矢田堀に興味を持ってくださって、
こんなブログも書いてくださっていたのですね。
ちょっとは私の作品がお役に立ったのならうれしいです。
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