『船の祭典2010』-2
佐栁島に,10時に到着、鐵五郎さんの出迎えを受ける。乗客のあまりの多さで、島の人はビックリ、その人たちを、お寺や、お墓の見学に引率、私たちも後を付いて、本浦の家並みを歩いて、お寺迄、帰りに、山路商店で、ビールを一杯、個々から、元中学校の、公民館迄ひと歩き、お昼前に到着、コンビニで買ったおにぎりを食べて、いざ講演会の準備、用意してきた、USBをセットして??? macじゃないのでうまく操作が??? 何とか、動き出して準備完了、船で参加の、島外のひとでまず100名以上いました。そこへ島の人たちが、次々に参加、なんと、公民館元の中学の講堂がにいっぱいになりました。一時になり、会が始まり、主催者の香川県観光協会の会長さんの挨拶、コーディネーターの大林先生から紹介され、私が挨拶、そして講演が始まりました。まずは、塩飽水軍の話、菱垣廻船浪華丸の帆走シーンを使い、私の紹介をかね、このような船を扱っていた塩飽の水夫の話をして、歴史話、ペリー来航、咸臨丸の発注と建造の話、などなど、渡米した水夫の話から、咸臨丸子孫の会の話、色々なエピソードを交え、咸臨丸の乗組員は、大変な苦労をし悲しい想いもしましたが、日本に帰ってきた時は、みんな『日本人』として、国に戻ってきました。そのような話で、みなさんの質問を受け、私の想いと心情を御答えしました。その中に、この島の大きなパワーを感じました。講演は無事終了、5時過ぎのフェリーに、来たときより多くの客を乗せて、一路、多度津に戻りました。参加したみなさんとお別れして、私たちは、車で、丸亀〜宇多津〜坂出を抜け、鳴門〜淡路島〜神戸〜宝塚と、9時30分に、正井さんのマンション着 私は、10時に帰宅、本当にご苦労さんな、一日でした。今回参加していただいた多くの方に感謝します。『佐栁は離れ島やし、たくさん来る分けないから、オフレコ話ノミで、』と、思っていましたが、新聞記者と、ケーブルテレビの取材があり、いつもの、私よりすこしまともな話をしたかも?? 酔人漫のいつもの調子でなく、咸臨丸研究家の話やったかな〜〜〜〜〜?? (翌日の新聞に、堀江さんより、私の方が、大きく前に報道されました)
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム