2013年12月10日火曜日

ある人との関わり

12月の19日に、ある方のお別れ会が、東京で行なわれる。私の19歳頃の、あこがれの夢の中の人であった。CAR GRAPHICの編集長であった彼の、車への情熱と、私の車への出会いが、車好きの、写真屋のおじさんから始まった、そのおじさんの店には、いつもCAR GRAPHICがならんであった。私は、多くのスポーツカーに興味を持ち、モータースポーツにもはまり込んだ、おじさんが紹介してくれた、自動車修理工場のオーナーは、浅間火山レースや、雁ノ巣のバイクレースで、名を馳せた、レンシュポルツのOさんだった、その工場で、ポップ吉村さんとも出会った、そこで働いている、M君と一緒に、カートの世界に入る。カートの世界の変革期で.ヤマハが、乗り込んでくる数年前であった。全国で1000人程のカート人口しか無かった時代であったが、CAR GRAPHICは、スポーツ欄で、カートのレースの結果も取り上げてくれた。それから、10年間カートに夢中であったが、日本の自動車雑誌は、CAR GRAPHICが、一番だと、毎月目を通していました。ヤマハがカート界に乗りだしてから、競技役員や、ライセンス講習会等のお手伝いをしながら、活動の資金を貯め、オランダからエンジンを購入したりして、Aクラスで頑張っていましたが.すこしづつ活動を控えて、仕事に集中して30代を過ごしましたが、いつも本屋によってCAR GRAPHICを、立ち読みしていました。そのような頃に、船舶免状を取る機会を持ち、何とヨットの世界に入り込んでしまいました。ヨットの楽しみの中で塩飽に船で帰る事が一番の楽しみでした。そして交通事故で死にかけて、三途の川から戻って来た、53歳の時にインターネットで咸臨丸子孫の会を知り、5代前の爺さんが、咸臨丸でアメリカに行ったを、伝え聞いていた、私は、早速入会、それから、咸臨丸の活動をお手伝い、会員名簿の中に、CAR GRAPHICの編集長の、名前を見つけて,ビックリ、彼のご先祖が士官として咸臨丸に乗っていて私のご先祖が、同じ船で、アメリカに行っていたとは、!!!、人生や人との繋がりは不思議な物で、何かのご縁が、繋がって行く物だと思っております。日本のモータリゼーションに、多大なる、功績のある、小林彰太郎さんのお別れ会には出席できませんが、彼が残した、自動車に対する想いを、良い形で伝えて行きたい物です。 日本で一番、自動車を楽しめた時代に、車の楽しみに導いてくれた、あなたに、『感謝!!』http://cargraphic.co.jp/cgclub/information/2013/11/28/cg1401/

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