2013年8月12日月曜日

孤独な、職人の死

その人は、Takayoshi Yamamoto  子供の頃に、石切職人であった、父親に連れられ、佐栁島長崎から、本島笠島に移り、戦前戦中の大変な時期に育つ、本島の一番人口の多いときである。中学校を卒業して、親戚である。佐栁島本浦出身で同じく本島笠島に移り住んでいた。Hさんの息子さんが、大阪起業した家具工場に、就職する。私の親父が大阪で再出発しだした。家具工場の敷地を少し別けてもらって始めた頃で下す、その頃は、物を造れば売れた時代でした。そして20年近く、その工場で働き、独立して、東大阪に工場を造りました。一人で仕事をしていました。そんな時に、彼に仕事を頼む人がいました。夢からくり一座 座長 東野 進さんでした。彼はからくりのベースの指物師ごとを、Yさんに、お願いしていました。私は彼の工場にいった時に依頼された、からくり物のべーすや、昔の木の自転車の修復等をみて、Yさんの物造りに対する情熱と考え方には、すごく素晴らしい物に感じ入っていました。東野 進さんが有名になり、田中義衛門が造った、からくりの修復や
コピーを見るたびに、Yさんの活躍や、真剣に仕事に挑む姿が、思い出されました。
 彼が、東野 進さんのからくり儀右衛門の修復を手伝っていた事等、何処にも表には出てきませんが、 私は、Yさん一生懸命、努力して、素晴らしい物を造り上げたと思っております。
 実は、2013年8月9日に、Yさんは,癌の為にお亡くなりになりました。彼は、数年前から本島に帰り、一人で生活していましたが、此の病に負けて、このようなことになりました。
 素晴らしい技術を持ち、人のできない仕事に挑み、昔の人が造れたのなら、なんとかできるはずと、頑張って物造りをしていた、彼の顔が思い出されます。修復再生したからくりにはその職人の名前は残ってはいませんが、一人の優秀な、塩飽指物師がそのような仕事をした事を、私が伝えて行かなければと、思っております。南無〜〜〜〜〜

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